群青 · AI時代のビジネス洞察

柳井正――呉服店の小僧からフリースでアジアを席巻したアパレル長者

創業:柳井正 · 株式会社ファーストリテイリング(Fast Retailing Co., Ltd.)

JOURNEY

主要項目

FIELD STAMPS
業界アパレル・ファッション
地域日本
規模巨大企業
チャネルその他

創業のきっかけ

柳井正は1949年、山口県宇部市に生まれた。父・柳井等は、戦後に呉服店から業態転換した紳士服洋装店を営んでいた。1972年、早稲田大学政治経済学部を卒業した柳井正は、ジャスコに一時勤務した後、大企業の体制になじめず退職し、父の小郡商事を手伝うため戻った。当時、店には数名の従業員しかおらず、注文紳士服を販売していた。客単価は高いが回転は極めて遅かった。柳井正は、職人の経験に頼るこの商売には規模の将来性がないと気づく。一方、米国のチェーン店や英マークス&スペンサーの標準化された小売モデルが台頭しており、服を「手仕事」から「工業製品」に変えるという着想を得た。

成長のマイルストーン

1972年
承継 転換点
1972年、柳井正はジャスコを退職し、父の小郡商事を手伝うため戻った。当時、店の主力事業は注文紳士服で、老いた仕立職人の個人技術に依存しており、月間売上高は数百万円にすぎず、従業員は10人未満だった。柳井正は、個人経営とチェーン小売の間にある効率格差を初めて実感したが、父が依然として経営の主導権を握っており、彼は一時、辺縁に追いやられた。
1984年
業態転換 転機
1984年、柳井正は父を説得し、広島市に第一家「Unique Clothing Warehouse」を開店した。セルフサービス式のカジュアル服大型店として位置づけ、注文紳士服モデルを捨てた。開店初日、行列の人数は予想を上回ったが、店内の商品構成は混乱し、サイズが揃わない、在庫が途切れるといった顧客苦情が出た。この年、小郡商事の年間売上高は約20億円で、カジュアル服の比率が初めて紳士服を上回った。
1991年
社名変更 転換点
柳井正は正式に社名を「ファーストリテイリング」に変更し、チェーン拡大を開始した。1990年代初頭、日本のバブル経済崩壊で紳士服需要が縮小し、同業者の多くが倒産したが、ユニクロは低価格のベーシック商品で逆勢成長した。1991年、会社の年間売上高は100億円を突破し、店舗数は50店に達した。柳井正は「毎年30店舗を新設する」という積極計画を始動したが、出店地の失敗と管理人材不足により、1993年には初めて大規模な単店赤字が発生した。
1995年
フリース投入 PMF
1995年、ユニクロは東レ株式会社と協業し、低価格フリースジャケットを開発した。初年度価格は4900円、販売量は約100万枚。1998年にはさらに価格を1900円まで下げ、日本で「国民全員フリース」現象を引き起こした。1999年度にはフリース単品の販売量が850万枚を突破し、ファーストリテイリングの年商を2490億円に押し上げ、営業利益率は18%を超えた。フリースはユニクロ初の真の意味での大ヒット商品となった。
2001年
ロンドン1号店の失敗 失敗
ユニクロは英国ロンドン郊外に一度に4店舗を連続出店し、日本の棚割りとサイズをそのまま持ち込む運営方式を採ったため、英国消費者は型や色に広く不満を抱いた。2001年、ロンドン4店舗の合計年間売上高は10億円未満、単店月間赤字は5000万円を超え、在庫の滞留が深刻化した。柳井正は社内総括会議で「日本の成功体験を万能公式と考えたのが最大の誤りだった」と認め、その後3店舗を閉鎖した。
2005年
SPAモデルとグローバルサプライチェーン 成長
ファーストリテイリングは企画・生産から小売までの全チェーンを担うSPAモデルを確立し、生産の重心を中国、ベトナムなどの協力工場へ移した。2005年度、ファーストリテイリンググループの売上高は3831億円に達し、海外売上高比率が初めて10%を突破した。同年、ユニクロは中国・上海に中国本土1号店を開店し、開店当日の行列は3000人を超えたが、初期は価格が日本より大幅に高かったため、リピート購入率は芳しくなかった。
2014年
海外拡大と人事激震 失敗
柳井正は「2020年に世界一のアパレル小売業になる」目標を強力に推し進め、ユニクロは東南アジアや米国で急速に出店した。しかし米国市場は8年連続で赤字となり、2014年には米国事業部が単四半期で30億円近くの営業赤字を計上した。同年、柳井正と理念が合わないとして複数の幹部が相次いで退職し、後継候補と見られていた堂前宣夫も含まれた。柳井正は公に「失敗した米国戦役が、私に減速を教えた」と述べた。
2023年
初の社長交代 転機
73歳の柳井正は正式にユニクロ社長を退任し、44歳の塚越大介がファーストリテイリンググループ傘下のユニクロブランドで初の創業家以外の社長となった。柳井正は引き続きファーストリテイリンググループ会長兼CEOを務め、グループの戦略方向を依然として握っている。2023年度、ファーストリテイリンググループの売上高は約2.76兆円、営業利益は4000億円近く、海外売上高比率はすでに60%を超えている。

転換点

  • 1984年、父の高級紳士服店をセルフサービス式カジュアル服売り場に改装し、老舗仕立職人の技術依存を捨て、標準化された低価格小売へ転換した
  • 1998年、フリース価格を4900円から1900円へ引き下げ、単品年間販売量850万枚を達成し、大ヒット商品で日本の大衆市場を突破した
  • 2001年、ロンドン1号店はほぼ全敗したが、逆にユニクロに「日本版型万能」という幻想を捨てさせ、現地化改編を促した
  • 2005年、SPAモデルが完全に成型し、生産を中国と東南アジアへ移したことでコスト構造が質的に変化し、海外拡張は本当の意味で弾薬を得た
  • 2023年、柳井正はユニクロ社長職を44歳の塚越大介に譲り、創業者が長く自ら陣頭指揮を執る経営モデルに終止符を打った

失敗とつまずき

  • 1993年、積極的な出店により初のチェーン店で大規模な単店赤字が発生し、管理範囲が拡張速度に追いつかなかった
  • 2001年、ロンドン1号店は日本の棚割りとサイズをそのまま適用し、4店舗合計の年間売上高は10億円未満で、在庫滞留が深刻化した
  • 米国市場は8年連続で累積赤字となり、2014年には単四半期の営業赤字が30億円近くに達し、「急速に世界一になる」目標は頓挫した
  • 2014年前後、有力幹部の多くが柳井正と経営理念で激しく衝突して退職し、後継者層が一時、手薄になった

关键成功要素

  • 服を注文仕立ての手仕事から標準化された工業製品へ変え、SPAモデルでコストを極限まで圧縮した
  • フリースという単品で消費層を突破し、ユニクロを山口県の小さな店から日本の国民的ブランドへ変えた
  • 海外での失敗が現地化改編を迫り、日本の経験を万能公式とは見なさなくなった
  • 長期的にベーシック路線を堅持し、市場がファッショントレンドを追い続ける中でも製品構成の安定性を保った
  • 創業者は73歳まで事業承継を遅らせたが、最終的に非家族成員の後継を選び、家族専制のリスクを避けた

教訓

  • 規模化の前提は標準化であり、紳士服販売は職人の経験に頼るため大きくはなり得ず、ベーシック商品販売によって初めて無限に複製できる
  • 大ヒット商品は会社の運命を変え得るが、サプライチェーン改革と結びついていなければ、一過性のブームにすぎない
  • 海外拡張で最も恐ろしいのは自国の成功体験の丸ごと移植であり、現地のサイズ、価格、棚割りロジックはすべて一から作り直す必要がある
  • 創業者が長く自ら経営を握ることは意思決定の効率面で利点がある一方、幹部の後継者層を断絶させる。事業承継は10年前から布石を打つ必要がある
  • 小売企業で真に価値があるのは在庫回転とコスト管理であり、店舗数ではない

主要データ

  • 2023财年集团营收:約2.76兆円(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 2023财年营业利润:4000億円近く(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 集团市值:約6.35兆円(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 摇粒绒1999财年单品销量:850個(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 1984年首店开业当年公司营收:約20億円(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 优衣库全球店铺数:約3400店(2023年)(公開資料ベース、独立検証なし)
  • 海外营收占比:60%超(2023年度)(公開資料ベース、独立検証なし)

競合・同業

ユニクロは世界のカジュアル服市場で、主にZaraの親会社Inditex、H&Mグループ、GAPをベンチマークしている。Zaraは超高速ファッションサプライチェーンで毎週新商品を投入し、H&Mはデザイナーとのコラボでトレンド感を維持し、GAPはアメリカン・ベーシックのマインドシェアを握っている。ユニクロと三者との最大の違いは、ベーシック戦略の下での極限的なコスト管理と素材開発力であり、フリース、HEATTECH、AIRismなどの機能性素材が安定したリピート購入プールを構成している。Zaraの高頻度な追加発注と比べ、ユニクロはSKUがより少ないが単品の深さがより深く、ファッションの速度を犠牲にして在庫リスクとコスト優位を取っている。さらに中国本土のSHEINが、より極端な価格とデジタルサプライチェーンで大衆市場を攻撃し、ユニクロの低価格ベーシックにおける堀を侵食している。